リビングの扉をゆっくりと開けると、XANXUSがソファで奈々の入れたお茶を堪能しながら寛いでいるところだった。
「母さんは?」
ソファの後ろから声を掛けるとXANXUSは振り向かずに湯呑茶碗を置いた。
リビングを見渡しても奈々の姿は見当たらず、キッチンから匂いはすれども気配が感じられなかった。
玄関先にあった重箱も大きな荷物もなくなっていたことから、出かけてしまったことは予想できるけれども。
「どこに行ったの?」
綱吉はXANXUSの正面に回り顔が見える位置まで移動する。近くなければ声は聞こえない。
覚悟を決めてXANXUSに近づくと、にやりと笑いながらXANXUSはその問いに返事をした。
「出かけたことはわかるんだな」
「うひっ…そりゃ、荷物なくなってたから」
耳の傍での囁きに変な声が出てしまった綱吉はむず痒さを抑えるために耳を覆いながら話を聞いた。
こんな状態がしばらく続くなんて、と眩暈がしそうになるのをぐっと堪えながらXANXUSに詳細を求める。
「こんな時間に出かけるの珍しいからさ」
「家光のところだ」
「父さん!?」
日本に来てたの!?
帰国する予定は全く聞かされていなかった。もしかしたらXANXUSの件で浮かれ過ぎて母の話を聞き漏らしていたかもしれない。
ぐるぐると記憶を辿っていると、XANXUSが続きを伝え始めた。
「帰国するなり入院、だと。中国で仕事してそこで負った傷が開いて…とか言ってやがった」
「…無理して日本に向かったせいじゃないの、それ。XANXUSがこっちにいるから…」
「だろうな、本来入院の傷を押してこっちに来やがったらしいから」
ククと笑うXANXUSを見て綱吉も笑う。
無茶して自滅するのは父の良くやるパターンのようだ。
「おれ、ご飯食べたいんだけど」
ちょっと待ってて、と綱吉はキッチンへと向かう。
小さめの寸胴鍋にはスープ、キッチンのテーブルには予想をはるかに超える数の料理が並べられていた。
どれも少しずつ取り分けた跡があり、綱吉は玄関にあった重箱の正体を知る。
大方、父の家光が母の料理が食べたいと駄々をこねたのだろう。家族四人分サイズの重箱だが、父にしてみればひとり分なのだ。
鍋に火をかけ、温めて食べる皿をレンジにかける。まだ温かいものもあるところをみるとさっきまで作っていたのだろう。
「それにしても」
自分も生活に支障をきたす状態ではあるが、父はきっともっと重症なのだ。
綱吉が入院予定だったのは母がそちらに向かう為と考えると自然だ。綱吉ひとり置いていく訳にいかない。
ひとり?
「あれ?」
音がなさすぎて気がつかなかったが、大勢いるはずの同居人が誰ひとりとして家にいないことにやっと綱吉は気付いた。
出迎えにも出てこなかったし、まだ眠る時間でもないはずだ。
綱吉がぼんやりとスープをかき混ぜながら考えていると、XANXUSがキッチンにやってきた。綱吉が戻るのを待てなかったようだ。
「XANXUS」
募る不安を全面に出したまま、XANXUSに顔を向ける。
「母さん、他に何か言ってなかった?」
XANXUSはぐっと顔を近づけ、一度頬に口づけてから答えてくれた。
「二日程留守にするので、娘をお願いしますと言っていたが」
「…本当に?」
「嘘ついてどうするんだよ、カス」
仮にも婚前の娘を男一人にほいほいと預けることを信じていい言葉とは思えないが、XANXUSの言葉が全く揺らがないからこそ嘘でないとわかる。
予想外の事態に綱吉はますます焦りの色を濃くした。
母さん、今日帰ってこないの!? 明日も!?
もちろん綱吉ひとりでも家事はこなせる。だが、今は状況が違うのだ。
「置き手紙があるらしいからそれを読むように伝えろ、とも言っていた」
どっかにあるんだろ、とXANXUSはキッチンのあちこちに目を渡らせた。
手紙と言えば。
綱吉ははたと気付いていつもの戸棚を開いた。
奈々は綱吉の分のおやつと共に必要な時には戸棚に手紙を入れていてくれるのだ。短い時も有れば、お使いのお願いの時も留守番のお願いの時もあった。
綱吉は何となく手紙が好きなのは、この奈々の手紙が始まりだったのかもしれない。
「あった、これだ」
カサカサと手紙を広げ、二人で中身を読む。
自分とは違い、読みやすい字が便せん一枚にいっぱいに広がっていた。
その内容はさらに綱吉を悩ませるものであったのだった。
『つっくんへ
今日帰ってくる予定だったお父さんが急に入院することになりました。
ザンザスくんの言うことを聞いていい子でお留守番お願いしますね。
ランボちゃんとイーピンちゃんはハルちゃんのところへ、フゥ太くんは山本君のところへお泊りに行きました。
リボーンちゃんとビアンキちゃんは予定通り旅行に行くそうです。
何か困ったことがあったらここに連絡してください。』
その後に連絡先が書いてあった、内線まで記されていたところから病院かホテルではないかと予想できる。
母は困ったら、と書いていたがまさに今困っている状況だということに母は気付いていたのだろうか。
耳が完全に聞こえる訳でもないし、頼れるはずの家族は誰もいない上帰宅日も定かではないし、何よりXANXUSと二人きりで最低二日間過ごさなくてはいけないのだ。
予想外にも程がある。
ドキドキとそわそわと全身が震える感覚と。
稀に見る大混乱を引き起こして、綱吉は呆然と手の中の手紙を見つめていた。
ぺたりとXANXUSの手が綱吉の頬を撫でた。ものすごく温かく感じる。
驚きすぎてすっかり血の気が引いてしまっている綱吉を心配しているらしく、顔を顰めながら綱吉の顔を覗き込んできた。
「心配すんな。家光は死ぬような怪我じゃねえし、奈々さんも逐一連絡を入れると言っていた。焦ったところで何も始まんねえよ、カス」
「いや……そうだけどさあ」
「俺といるのが怖いか」
びく、と綱吉の身体が揺れる。まるでXANXUSに心を見透かされているかのようで焦ったのだ。
怖い訳ではないが、二人きりで何もない訳がないと思っていたし、何度もキスをされているのだから心のどこかで少しだけ期待もしていた。
「怖く、ないよ」
本音であり、建前である。
一緒に過ごすことに対して、未知数であるからこそ怖いのだ。
そんな時に再び綱吉のお腹がぐううと鳴り響く。相当大きく間違いなくXANXUSにも届いただろうその音は二人を数秒沈黙させ、そして笑顔にさせた。
XANXUSは笑顔と言うよりも凶悪な微笑みで、綱吉は恥ずかしさで真っ赤になった苦笑なのだが、それでもお互いの認識では笑い顔であった。
「笑ったな、いい顔だ」
綱吉の身体をXANXUSの長い腕が包む。
「腹減ってるところ悪いが、少しだけこうさせろ」
「う、うん」
肩口に頭を乗せ、腕の力を強めるXANXUS。首にXANXUSの髪が当たりチクチクする。
だんだんと腕の力が強くなり、息を吸うのも苦しくなる。
「…生きた心地がしねえってのはこういう時に使うんだな」
「心配してくれた?」
「連絡受けた時、血の気が引いた。先にこっちの心臓が止まるかと思ったぐらいだ」
言いきるか否かのタイミングでさらに強く抱き締められた。
声が少し擦れている。
「やだな、大げさだよ」
「大げさに連絡を入れてきたんだよ、情報が少なすぎて予測するにも悪い方向にしか考えられなくてな」
はあ、とXANXUSは大きく溜息をついてから説明をしてくれた。
連絡を入れたのはリボーンで、初めに彼がXANXUSに入れた情報は『綱吉が病院に運ばれた』だけだったのだ。すぐに詳細を求めたXANXUSだったが、その後帰ってきた返事は病院名と住所だけだったそうだ。
リボーンらしいといえばらしい。
しかも住所も曖昧で辿り着くまで時間が掛かったことも追記しておく。
イタリアからの来訪者に対しての扱いにしては酷いものだと綱吉も思った。
はあ、とお互い大きな溜息をつく。腕の中にいる安心感から漏れ出た溜息だ。
「今日、ごめんね。こんなことになっちゃって」
「かまわねえよ、会えただけでも充分だ」
「おれも会えて嬉しいよ」
空気が甘いものへと変化していきそうになるところで、再び綱吉のお腹のむしが盛大に鳴り響いた。今度は今までよりも長くなり続け、あああと同時に綱吉の情けない声が漏れ出ると、XANXUSは肩を震わせ笑い出したのだ。
「クク、悪かったな。腹減ってんのによ」
「や、やだもう! 恥ずかし……」
「折角だから食おうぜ、奈々さんの手料理は美味しいんだろ?」
XANXUSが嬉しそうに料理の皿を眺めている。
綱吉も見た目からその美しい料理達に期待したせいでまたお腹が大きな音を立てようとしたため、また料理を温める作業を再開した。早く食べたいのだ。
「外で食べるよりもおれは好きなんだ、美味しいよ」
冷やしてあったサラダを運びながらXANXUSにそう返事をする。
口が半月を描いたことから、XANXUSも楽しみにしてくれているようだ。
久しぶりの二人でのご飯を楽しもうと綱吉も準備の手を速めた。
BACK/NEXT
|