鳥の声が綱吉の耳をくすぐる。ゆっくりと目を開けるとそこは見たことのある天井で。昨日も使用したベッドの上に綱吉はいた。
日の光から判断しても、まだ朝日が昇って間もない時間だろう。ぎしりと音を立てるベッドで身体を起こすと、やはりそこにはXANXUSの姿はなかった。
なんとなく、そんな気がしていた。
「おれ・・ああ、そっか」
今の今まで目まぐるしく変わる夢の世界にいたようで、元の自分の記憶を思い出すまでには時間を要した。
そうだ、自分は梯子から落ちてしまったのだ。XANXUSがいなくて探して外へ出て、そこで。
「ん、でも、痛くない・・なあ」
腕も足もどこも体を打ち付けたような痛みはなかった。腕捲りをしてみても、目に付く場所に傷はなくそれどころかずっと着ていたパジャマにも土も泥もついていなかった。むしろ、外へ出てXANXUSを探しに出たこと自体が夢だったのではと思えるほど、綱吉の身体に変化がなかった。
まだ目の前の世界が夢の中を歩いているようにも思えて、急に不安が体中を走った。
どこからが夢で、どこからが現実で。
背中を冷たい汗が流れ落ちていく。
綱吉は急に立ち上がりベッドから飛び降りて、スリッパも靴も履かずに、裸足のままで走りだした。
がたんがたんと扉を抜け、昨日も始めに向かったリビングへと入る。
そこへは昨日いなかったXANXUSの姿があった。
一人掛けのソファに浅く腰掛け、足は目の前のローテーブルへと乗せていて、目を瞑っていた。多分眠っているのだろう。
XANXUSの周りには相当数の酒瓶が転がっていた。空いていないものはほとんどない。すべてXANXUSが昨日飲んだのだ。
綱吉はその酒の味も価値もさっぱりわからないが、度が高く喉に悪いということぐらいはわかった。グラスも氷を用意した形跡もないのだから間違いなくそのまま直接飲んだのだ。ただでさえ声が出ないほど喉を痛めているというのに。
「・・・XANXUS」
ぺたりと鳴ってしまう足音を出来るだけ消しながら近づいて、再度XANXUSを呼んだ。
「XANXUS・・・」
動かないが、多分起きている。けれども反応はなかった。
綱吉はソファの周りにある酒瓶を寄せ、そこにぺたりと座りこんだ。床に敷かれたカーペットも冷えていて、XANXUSの身体も冷えてしまっているのではと心配になるほどだった。膝を抱え込んでXANXUSの様子を窺うように顔だけを椅子のほうへと向けていた。
走ってきたせいだろう、息が苦しかったが、ゆっくりと整えながら呼吸をした。
冷たさもXANXUSの温かさも今の自分にはわかるから、これは夢ではないのだろう。不安な気持ちが少しだけ溶けた。
XANXUSはここにいた。
ならばさっきの夢は何? 本当にXANXUSの記憶の欠片だとしたら余りに彼らしくなくて。どうしてそこまでして任務に出たのか、どうして怪我をするほどの無茶をしたのか。
答えが見え始めて、自分の身体が震え始めた。
急に綱吉の身体が浮いた。とん、と身体を立たせられる。
「あ・・・おはよ、XANXUS」
とっさに笑顔を作ったが引き攣ってひどい顔になっていたに違いない。そんな綱吉を見たXANXUSはいつもに増して眉間に力が入った顔をしていた。
明らかに怒っている。額からぴきりと音が出そうなほど血管が浮いて出ていた。
ぴたと綱吉は動くのをやめて、XANXUSの顔を見つめる。XANXUSはそのまま方まで使って大きく息を吐き出して、綱吉の頬を撫でた。
「ん・・・あったかい」
その言葉に弾かれたようにXANXUSは綱吉を抱えて歩きだす。心なしかお酒の匂いがXANXUSから漂ってきて、昨日の酒がまだ抜けていないどころか酔いも回っているのだろう。しかし、しっかりとした足取りでXANXUSは綱吉が元いた部屋―――寝室へと進んでいく。
ぼすんとスプリングの効いたベッドへと綱吉を降ろし、周りにあった毛布で綱吉をぐるりと巻いた。そして、ローテーブルの上にあったリモコンを使い、部屋を温め始めた。
静かな音だが確実に部屋が暖まっていくのを感じた綱吉は、今の自分の状況があまりにおかしくて、ぷ、と噴き出した。
まるで蓑虫かクロワッサンか。暖まるけれどもこれでは動くことすら出来ない。しかし気持ちは暖まるにつれ少しずつ落ち着いていった。
ぎしりとXANXUSがベッドの端に腰掛けた。
「あ・・の」
綱吉はとにかく話しかけてみた、が何から話していいかわからなくて。
今自分の中にある疑問が目まぐるしく回り出して、すべてが口をついて出そうになり必死で一度止めた。ぐるりぐるりと考えが回る。
先ず何より綱吉の口をついたのは、謝罪の言葉だった。
「ごめん・・・」
驚いたように目を見開き、大きな瞳が見つめ返した。
「避けちゃって、ごめんね」
言葉は足りなかったが、XANXUSには十分に伝わったようで大きくなっていた目が元のサイズに戻り、ぺたりと綱吉の頭を撫でた。さら、さらりと何度も髪を梳き、優しい大きな手が綱吉を包んだ。
XANXUSの口が動いて、言葉を紡ぐ。
「謝る必要はない、悪いのはこっちだ」
まだ音としては小さく、かろうじて届く声でXANXUSはいった。少し辛そうな表情をしながら、だ。
昨日は飲みすぎたせいか、痛む喉を押さえながら続けて話そうとするので、綱吉は止めた。
「待って、ゆっくりでいいから。こっちに書いて」
苦しいほどに巻かれた毛布から抜け出し、ローテーブルに置かれたままのメモを手に取った。出る声も無理をしてはまた出なくなってしまう。XANXUSは綱吉からメモを受け取ると、再び綱吉を毛布の中へと包み込んだ。
そして、時間をかけて何枚もメモを記していく。書きあがるごとに一枚ずつ綱吉に渡した。
『嫌がると思わずに服を脱がせて、そのまま同衾した。ここまで気にするとは思っていなかった』
「で、でも! おれ、この家にベッドひとつしかないって・・知らなくて」
『説明不足だった。悪い。こんな状況だ、無理してここに居る必要はない。お前は帰ってもかまわない』
「・・・おれ、XANXUSの監視役で来たんだよ。おれがいなかったら、XANXUSまた、仕事始めるじゃん。だから帰らないよ」
『仕事はしない、だからお前は帰った方がいい、帰れ』
どくりと綱吉の心臓が鳴った。強めに書かれたその言葉は完全に拒絶の言葉だった。
「・・・いやだ」
自分を包む毛布を握りしめて、綱吉はぽつりと言葉を投げた。自分でもわかるほど、今酷い顔をしているだろう。泣きそうで怒っていて、不満が前面に押し出された顔だ。
XANXUSは深い溜息をついて、再度メモを手に取った。さらさらさらり、と先よりも急ぎ気味にペンを走らせて、綱吉に渡した。
『このままいては怪我をさせてしまうだけだ。てめえを傷つける前に帰す、だから帰れ』
「やだよ! ・・・だってXANXUSの声、おれのせいで出なくなったんでしょ!? 治るまでここにいるもん・・いたいんだよ」
再び驚いた表情に変わるXANXUSの顔は時間がたつにつれ、歪んで悲しそうな顔をし始めた。答えに困っているようで手に持ったペンが動きを止めて、紙の上で行き場に困っていた。
綱吉は自分の中でも答えの出ない話をし始めた。
「さっきまで見てた夢がね、多分XANXUSの記憶だと思うんだけど、九代目と言い争ったり建物がなくなるまでの大爆発に巻き込まれてたりしてた。その時にXANXUSの声、出なくなってた! ・・・その任務っておれの声を奪った相手に関係してる、でしょ?」
XANXUSからは答えも反応も出なかった。
「建物についてた紋章、覚えがあった。しかも最近。リボーンが見せてくれたイタリア内のファミリーの資料の中のひとつについていたのと一緒だった・・・覚える気はなかったけど、妙に引っかかるものを感じたから覚えてたんだよ、その紋を」
緑のインパラのついた紋は確かに夢で見たもので、そこまで話すとXANXUSのちぃ、という舌打ちが聞こえた。
それでもXANXUSは否定をした。
『関係はねえ、そのファミリーはとうに形をなくしている。俺は自分の力不足で喉を痛めた、それだけだ』
「XANXUSがそういうなら、そう思うことにする・・・でもおれはここにいたい」
それを言い切り、口をぎゅうとへの字にする綱吉。
帰るのは嫌だった。
綱吉が緊張しすぎていろいろ行動に支障が出てしまい、相当XANXUSに迷惑をかけたこともわかっていたが、このまま離れてはXANXUSの気持ちもどんどん離れて行ってしまう、そんな気がした。ただでさえ距離があるのだ。会える時間もないんだ。二人を繋ぐものは手紙ぐらいしかなくて。
何度目になるかわからないXANXUSの深いため息が再度吐き出された。
「・・・ならば、好きにしろ」
ころんとペンを置き、XANXUSは振り絞るような声を捨て台詞に部屋を出て行ったのだ。
きょとんとした綱吉はまずそのXANXUSの行動が飲み込めなくて。ただただ呆然とXANXUSの行った後を見つめていた。
「好きに、するよ」
ぐ、と身体を叩き起し、巻かれていた毛布を捨て、ぺたりと裸足のままで再びXANXUSの後を追い始めた。
拒絶されても、XANXUSの喉だけは直して帰りたかった。
今度は綱吉は逃げなかった、必死で向かうと決めたのだった。
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