今日も綱吉は忙しかった。自分に課した課題が目の前に山盛りに積まれているからだ。
「うー、んー、あー・・・わかんない」
「うるせえぞ、ダメツナ」
「ひっ」
 後ろからカチリ、と銃を向けられると、綱吉は唸るのをぴたりとやめた。いつもに増して自分の家庭教師は厳しいようだ。
 綱吉の机の上には、やり終えた宿題と、自らお小遣いを遣り繰りして買ったイタリア語の問題集がいくつか乗っていた。
「大体、何がわかんねえんだ」
「ん、と・・イタリア語全般、かな?」
「・・・馬鹿通り越して大馬鹿の域にまで達しやがったか」
「ちょ、ちょっとリボーン!!」
 溜息混じりにイタリア語の問題集を奪い取ると、そこには書きかけの手紙が隠されていた。
 それは綱吉にしては丁寧に書いたイタリア語の羅列で、まだ初めの二行ほどしか埋まっていなかった。お久しぶりです、こんにちはと、まるで定型文を写したようなその出だしは、やっと綱吉が見なくても書けるようになった文章である。
「もう何通も送ってんだ、そろそろ覚えやがれダメツナ・・・最初のこれすら綴り間違ってるぞ」
「え!? うそ!・・・ほんとだ、おれもそろそろ覚えたいんだけど・・・ねえ」
 想い人との手紙のやり取り、本来ならば相手はマフィアで記録に残るものは送ること事態が許されないのだが、リボーンを介して特殊な手段を用いてであれば可能であり、綱吉の早期イタリア語マスターのために役立つのであれば、と許可されたのだが、イタリア語が使えるようになるまでにはまだまだ程遠い道程を歩くことになりそうだった。
「せめて、日常会話ぐらいはできるようになりたいんだけどなあ」
 ぽつりとつぶやくと、手元の携帯が着信を知らせ始めた。
 この音は―――――XANXUSからだ。
 綱吉は急いで携帯を手に取り、通話ボタンを押した。
「もしもしXANXUS?」
「・・・sawada・・・」
「・・・ん?」
 この携帯自体はXANXUSからの連絡用に用意したもので、番号を知っているのはXANXUSだけのはずだが、今聞こえてきたのは明らかに違う人物の声。間違い電話かと思い、ば、と携帯を見るが、いくつか登録した番号の一つから掛けて来ていた為、表示はXANXUSになっていた。
「・・・」
「え、あの・・・?」
「〜〜〜〜・・・boss・・・〜〜〜」
「・・・ボス?」
 相手は自分を沢田と呼び、なにやら話し始めてしまった。上手く聞き取れなかったが、英語ではない気がする。そして、『ボス』という単語だけは耳に届いた。話し方や声質が耳に馴染むものである、多分知り合いの声なのだ。
 リボーンに助けを求めようと顔を上げてみたものの、あさっての方向を見て愛用のカップでエスプレッソを堪能していた彼は明らかに自分で解決しろと背中で語っていた。
「〜〜〜〜!!」
「・・・何? えっと、怪我って意味だっけ?」
 『ボス』と『怪我』という単語から導き出されることは――――。

「ざ、XANXUS怪我したの!?」
「〜〜〜〜!!!」
 日本語とイタリア語らしき言葉で会話らしい会話は成立していないが、相手も伝えたいことが通じたらしく声色に変化があった。
 かちゃ、とリボーンがカップを置いてこちらを向いた。
「ツナ」
「リボーン、あの」
「貸せ」
「え・・・ちょっと、待って」
 電話の向こうが急に騒がしくなった。高い声や少年らしき声が聞こえてくる。電話の相手のことを読んでいるようだ。
「・・・レヴィさん?」
「〜〜〜〜」
 プツ、と回線が切れた。
 電話の主はレヴィだったようだ。ぱちんと携帯を閉じてリボーンを向く。
「わかったのか」
「・・わかんなかった」
「・・・ダメツナが」
 はあ、と呆れた声を上げるリボーンは乗っていた机からとん、と飛び降りた。そして、扉の外へと歩いていく。
「待っていろ、確認取ってやる」
 珍しくリボーンが綱吉の頼みでもなく、動いてくれた。XANXUSからの連絡ではなく、部下、しかもあまり綱吉のことを良く思っていないレヴィからの直接連絡となると、ヴァリアー内でも何かしら動きがあったに違いない。
 リボーンはボンゴレ内部にまで及ぶ可能性を示唆して、本部へと連絡を取った。





 レヴィからの連絡の数時間後にはリボーンと綱吉は空の上にいた。事件発覚後すぐ、一番早く乗れる便に乗り、イタリアへと向かっていたのだ。

 リボーンが本部にいた家光から入れた情報で綱吉は蒼褪めることとなった。
「怪我をしたのはXANXUSで間違いねえ、ただ本人はピンピンしているそうだ」
「元気、ってこと?」
「まあ、元気っちゃ元気だが、声が出せなくなったらしい」
「・・・は?」
 声が出ないということは綱吉自身が経験したことで、通じない上に伝えられないという苦労を全てXANXUSに補ってもらったのだった。綱吉は数日で声が出るようになったものの、声の大事さを痛感したものだった。
 それが今、XANXUSの身に起こっているという。綱吉はさあ、と血の気が引く音を聞いた。
「嘘・・・」
「俺が嘘言って何の得になる、家光からの情報だぞ」
「余計嘘くさいじゃん、父さん信用できないし・・・」
「そりゃ、てめえが信じたくねえだけだろ」
 図星を指されて、びくと綱吉は反応する。
「だって・・・おれが声出なかったのもつい最近じゃん、何か関係あるんじゃないの?」
「そこまでは聞いてねえな、まあただ、あの男は何一つ変わりなく任務もこなしてるらしいから、心配いらねえぞ」
「・・・行く」
「何?」
 ぐ、とこぶしを握り、綱吉は旅行バッグを手に取った。
「イタリアに行く! この間おれが世話になったんだから、今度はおれがお返しする番だよ」
 いつもならば行動力のない綱吉だったが、今回ばかりは違っていた。
 XANXUSがあれだけ世話してくれたから自分は普通の生活が出来たというのに、何一つ返せていない事が嫌だったのだ。以前九代目がくれたお小遣いを全額下ろし、その足でイタリア行きを決めた。
「まあ、てめえにまで連絡が来るぐれえだ、ヴァリアーも困ってんだろ。行ってやれ」
 リボーンは反対することなく、綱吉について来てくれた。

 数十時間のフライトの中、綱吉は奈々が持たせてくれた喉に効くはちみつ漬けのカリンや日本製の甘くない喉飴などをぎゅうと抱きしめながら、軽い睡眠を取っていた。眠りに付いた綱吉を横目で見ながらリボーンは溜息をつく。
「普段でもそのぐらい、行動力を見せればいいものを」
 出来の悪いとは思っていたが、悪い、とは少し違うようだ。不器用で変な方向に力が入ってしまう不肖の生徒は恋人相手にだけは労力を惜しまないのだった。もう少し他の事に力を入れて欲しいと願うのは家庭教師としては当り前のことだった。





「ツナちゃん!」
 空港で待っていてくれたのは派手な髪形にサングラスの良く似合う姐さんだった。
「ルッスーリア、あの」
「いいから今はまず乗って頂戴、移動しながら話すわ」
 荷物をさ、と受け取り、カツカツとヒールの音を響かせながら綱吉の手を引いて歩いていく。綱吉の肩にはちゃっかりとリボーンが座っていて。広い空港の入り口に堂々と横付けされた黒塗りの高級車へと乗り込んでいく。綱吉は少しその如何にもな車が嫌だったが腹は背に変えられず、ルッスーリアの後について乗り込んだ。車は全員乗ったのを確認してすぐに走り出した。
 運転席からルッスーリアが話し始める。
「ごめんなさいね、ツナちゃん。レヴィが勝手に連絡しちゃったみたいで」
「あ、やっぱりレヴィだったんだね。いや、実はおれ、レヴィからの電話ほとんど聞き取れなかったんだよね・・はは」
「まあ!? そうだったのお!?」
 甲高い声が車中に響いた。
「ボスとか怪我とか聞こえたからリボーンに確認とって貰っちゃった・・・XANXUSが声出せなくなったってことはわかったんだけど」
「・・・そうなのよ、ボスがねえ」
 ふう、と溜息をついたルッスーリアは運転を続けながら綱吉に事情を話し出した。
「でもね、この話。本当は口止めされていたの、ツナちゃんには絶対言うなって」
「え?」
「ボスったらツナちゃんがこのことを知ったらイタリアに飛んでくるってまるで見てたかのように言うんだもん、確かに正解だったけど」
 う、と恥ずかしそうに顔を竦める綱吉、今回来てしまったことは自分勝手な行動でしかないのだ。XANXUSが予想出来てしまうほど、単純な自分の行動に自分で呆れてしまった。ルッスーリアは言葉を続けた。
「ボス、本当は来て欲しかったのよ。ツナちゃんに連絡取れなくてぴりぴりしてて」
 ルッスーリアは眩しさからかサングラスを右手でくいと位置を直した。
「あまりにぴりぴりしすぎて、周りにまで影響が出始めてるから、レヴィが呼ばなくっても二、三日中にはスクアーロかベルちゃんから連絡がいったと思うわ・・・あなたじゃないとボスは止められないのよね」
 高速へと乗り、車は止まることなく進み続ける。心なしかスピードを速めているルッスーリアは話すスピードもどんどん上がっていっていた。
「声が出なくなっても任務は出てるし、書類も滞ることはないから傍目には支障でてない様に見えるんだけど、実際は大問題よ! 筆談が面倒でイライラしてるし大人数の任務の指揮は出来ないしで、周り、特にスクアーロに当たり始めちゃってて・・・困ってるのよ」
「休暇扱いに出来なかったの? ・・・XANXUS忙しいから無理だってこと?」
 頬に手を当て、再びふう、と溜息をついたルッスーリア。綱吉の位置からは小指の整った爪がきらりと光って見えた。
「ボスが拒否したのよ、この程度休む理由にならないんですって」
「・・まあ、らしいけどね。周りにしたら困るよね」
 ぎゅうと自分の荷物を抱え、綱吉は口をへの字にした。自分ならば休みとなれば、二つ返事で休むだろう。XANXUSの行動は責任ある者の正しい行動でそして部下のことを考えると間違った行動なのだ。
 本当に困った、と綱吉は思った。
 それまで口を閉じていたリボーンが急にぽつりと話し始めた。
「声が出ない原因は何だ? 前回のツナのように『薬』なのか?」
 その質問にルッスーリアはしばし悩み、なかなか答えようとしない。そうねえ、と首をかしげながら説明を始めた内容は予想以上に長く、そして笑えないものだった。
「事の始まりは九代目を怒鳴りつけたことから、じゃないかしら。会議とその後で執務室に寄った九代目と口喧嘩、とは言ってもボスが怒鳴りつけるのを九代目がかわしていたものだったわ。その時からのどの調子が悪かったみたいなんだけれども・・・」
「けれども?」
「前回のツナちゃんに手を出したファミリーが判明して、その殲滅にヴァリアーで向かったんだけれど・・・あのね」
「うん?」
「怒り狂ったボスがやたらあちこち破壊したせいでそのファミリーの武器庫に引火しちゃって、大爆発。その煙やら飛んできた火の粉やらを吸い込んだらしくて、喉が焼けちゃって完全に声が出なくなっちゃったみたい・・・なのよね」
 さらりと話しているが、相当な事である。
「その地を瓦礫の山にするまで破壊行為を続けていたから、ボス自身が気づくのに遅れたのも要因の一つだわ・・・だから薬とかじゃなくて自業自得なのよお・・・」
 いやあねえ、ほほほほと笑う声が車内に響いたが、綱吉は笑う気はさすがに起きなかった。
「医者の見立てでは一週間もすれば再び声が出せるだろうって言うんだけど」
 たかが一週間、されど一週間である。その間にスクアーロが重症になりかねないし、他の部下にも同様に怪我人が出かねない状況だ。
 綱吉は下げられるだけ眉を下げた。
「そこで綱吉に協力をお願いしたくて!」
 声色からもルッスーリアの最後の望みになっているのがわかる。ごくりと喉が鳴った。
 まだヴァリアーのアジトまでは距離がある。綱吉は深呼吸をしてルッスーリアの言葉を待った。





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