そろそろ諦めるだろうと思って早二週間。季節も変わり始めたというのに、XANXUSの来訪は途絶えることなく続いた。
「通い妻だな」
などと小馬鹿にするリボーンを無視して、逃げるように家を出た。
今日は朝から頭が痛む。身体もじりじりする。確実にXANXUSが来ると身体が教えてくれているのだ。行き先を決めずに街へと出た。
運が悪いことに山本は野球部の合宿に参加しており、頼りたくなかったが獄寺に連絡をしてみたものの、留守番電話が今からイタリアへ行くと告げていた。恐らく今頃飛行機の中だろう。
少ない小遣いを使い、ゲームセンターで時間を潰し、お腹がすいた頃に再び外へと出た。コンビニでパンでも買おうとふらふら歩く。
寝不足のせいか身体が重い、天気が良いのに気分は全く晴れなかった。
お菓子と共にパンを購入し、近くの公園へと向かう途中で綱吉は明るい声に名を呼ばれた。
「あーっ! ツナさぁんっ!!」
「……ハル?」
晴れた空にぴったりな笑顔で駆け寄ってくるハルは片手にスーパーの袋を提げていた。家のお遣いなのだろう。
このところ彼女に会う機会も減っていた。進学校は勉強やテストも並中とは違うらしく、京子もなかなか遊ぶことが出来ないと嘆いていた。意外だといつも思うが、彼女は勉強家だった。
「お久しぶりです、お元気でしたかっ!?」
「え……ああ、うん。元気だよ」
「んー、でもなんだかツナさん疲れてるみたいに見えますよ? もしかして寝不足とか?」
珍しいと顔を覗き込んでくるハルも目の下に隈が出来ていた。愛に来れないほど忙しいというのに周りに対しても気を使える彼女の凄さをひしひしと感じた。
自分には出来ないことだ。今は特に、余裕がなかった。
「ちょっとね……色々悩みは尽きないから」
「流石ツナさん、マフィアのボスは大変……色々考えなくちゃいけないことあるんですもんね」
「い、いや! でも……友人関係の悩み、みたいなものだから」
不躾にハルは綱吉の顔をじろじろと見つめてくる。そして、困った表情に変わっていく。
「……恋、ですかあ……っ」
「へ、ちっ違うって!」
「焦るなんて怪し過ぎますぅ!! ハルよりいい人が出来たんですかぁっ!?」
ハルより、というよりも綱吉にとって彼女はその対象のつもりがないのだが。
悩みの種類としては恋情と考えてもいいかもしれないけれども、相手に対して思うのは嫌悪がメインで残りは恐怖だった。XANXUSのことを考えただけで恐ろしくて身体が震える。再びあの戦いでの恐怖を思い出しそうになり、綱吉はぶんぶんと頭を振った。
ハルはその動きを否定と取ったらしく、なぜかホッと息を付いた。
「良かったです」
ガサ、と彼女の手元でスーパーの袋が揺れる。眩しいハルの笑顔が目の間にあった。
このところ笑えていない自分。思い切り笑ったら気持ちがいいだろうと考えてしまうが、今出来るほど気持ちはついてこなかった。
「ハルはツナさんを選べて、良かったと思っています……優しいから沢山悩んでしまうんですよね」
「い、いや……」
優しくもないし、正直言うと余計なことで悩んでいると思っている。ハルが言うように自分で選んだ相手ならば、とぼんやり思考を巡らせているところで綱吉ははたと気がついた。
XANXUSは何故自分の元へ訪れるのか、と言うことの答えが出そうだった。選んだ。そうだ、キーワードは選ぶだ。
多重婚禁止とわかった上で、男の自分の元を訪れるXANXUS。どう考えたっておかしいだろうと思っていた。
綱吉は自分の嫌だという気持ちばかりが前に出てしまい、また利益ばかりを追う人間だと思っていたため、相手の気持ちのことなど考えもしなかった。
「ツナさん?」
「お、おれ、そろそろ帰らないと」
「はいっ! お気をつけて!」
ぱたぱたと手を振り見送ってくれるハルに軽く手を上げ返し、綱吉は重い身体に鞭打って家路を急いだ。だるかった身体も空き始めた腹の事も忘れて全速力で。こんな時には足が動く。
逃げ足と同じだけの速度が出た。
昼日中、日差しの強さもあってか道を行き交う人もまばらだった。住宅街の一角にある綱吉の家は本当に一般的な住宅だった。その玄関扉が閉じる音が聞こえる。誰かが家から出てきたのだ。
綱吉はさらに進む速度を上げ、その人物を見遣る。長身でこの天気には合わない容姿とかっちりと着込んだスーツが良く似合う身体を持った男は突然の綱吉の帰宅に大層驚いたらしく、目を大きく見開いていた。その顔は少し怖い。
「……は、か……帰る、の……?」
綱吉は全く整わない息を必死で押さえつつ、声をかけた。まさかこんな早い時間に帰るとは思っていなかった。
「こっちはてめえととがって忙しいからな、学生と同じようにはいかねえんだ、カス」
「……そっか、ひ、引き止めてごめん」
だったら来なければいい、というのは言外に留め、綱吉はXANXUSの行く手から一歩横にずれて道を譲った。
律義なのか単なる暇つぶしなのか、飽きずに通うXANXUS。いつも今日同様に時間に追われるように帰って行くのであれば余計に意図が汲めない。
XANXUSは九代目が嫌いで、綱吉のことも嫌いで、忙しくて横暴で、人の意見なんか聞かない男である。だがそれは綱吉の知るところによると、だ。他に何か、知らない事実も沢山あるのだ。
「逃げんな……いい加減こっちにも都合があんだよ」
はあ、と溜息を付くとXANXUSは綱吉の手にあったコンビニの袋を奪い取り、綱吉の腕を掴んで歩き始めた。ぐいぐりと強い力で身体を引かれ、全力疾走し疲労した綱吉は逆らえずにXANXUSの背中を見ながら引き摺られていった。
「ど、どど、どこにっ、行くんだよっ!」
「空港だ」
「は……?」
家から二ブロック先に止めてあった車へと綱吉を押し込み、XANXUSは運転席へと乗り込む。そして、綱吉が席に落ち着くか否かのタイミングですぐに発進したのだった。
呆気にとられた綱吉はとりあえず身の安全の確保を優先し、シートベルトに手を掛けた。右側、日本車なら運転席側に乗り込むことなど滅多にあることではないため、その作業すら手間取った。
意外にもXANXUSの運転は丁寧で乗り心地が良かった、ただスピードは明らかに法定外だったが。
お腹がすいた、疲れた、眠い。これに寒いが揃うと死ぬんだっけ。
車に乗って数分、XANXUSと言葉を交わすことなく綱吉は夢の世界へと落ちてしまった。何故かそれまであったXANXUSに対する恐怖心が消えてしまっていたせいだろう。思ったより怖くなかった、その手の力は強くとも、以前のように自分を傷付ける物ではなかった。
空調の利いた車内は眠るに適した場所であった。
「おい……」
「は、はは……はぃいっ」
綱吉の口からはどもった上に発音の悪い返事が出た。今いるのは空港のラウンジだ。通常であれば飛行機を利用する者専用のはずだが、XANXUSは顔パス奈上に高級そうな個室を我が物顔で使用していた。
綱吉が眠りから覚めたのはこのラウンジに着いてからである。ふかふかのソファにXANXUSの肩へ凭れるようにして座っていたところを揺り起こされたのだ。
そりゃ目覚めは良かったが、心臓の負担は酷いものだ。今現在もばこんばこんと痛いほどに動いている。
「食え、話はそれからだ」
ひとり分の食事がテーブルに載っている。コーヒーカップは二つだ。
「眠っているくせに腹が鳴る奴は初めて見たぜ」
「ご、ごごっごめん、なさいっ」
確かに腹は減っていたが、それ程までとは綱吉本人も気付いていなかった。綱吉は遠慮せずに目の前の食事に手を伸ばした。戸惑いが薄れている。恐怖心も薄れている。
外食する機会の少ない綱吉には高級ラウンジの食事は珍しいものばかりだった。何より皿に乗っている量が少ないのに、皿数はやたら多くて、洗い物大変そうだなどと思っていた。
どんどん口に運ぶ綱吉に安心したのか、表情を緩めたXANXUSが話を切り出した。
内容はもちろん結婚についてだ。
「これだけ時間があった、考える時間を設けたつもりだ……俺との結婚を考える気はあるか」
XANXUSの声色は至って普通で、ただ今は綱吉と隣り合って座っているため表情はわからない。綱吉は口の中にあったチーズの欠片をゆっくり飲み込んでから答えを返した。
「さ……最初に、言った通りっだよっ! いい、いくら九代目の、命令でも……い、嫌だよ……っ!」
「……そうか」
前回は拒否権はないと言われた。だが今回は一言、そうかとだけXANXUSは言って黙ってしまった。
自然と綱吉の食事の手も止まってしまう。
駄目ではないなら、結婚なことなどとっくに破棄してもらっているのだ。リボーンに何度も掛け合ってみたものの、二人でよく話し合えと言われて即却下だったのだが。
カチャリと行儀悪くも皿とフォークがぶつかり、音が鳴ってしまった。緊張でかちゃかちゃ鳴ったのも自分らしくて笑いが漏れる。
「あっあのさあ、ざ、XANXUSは……嫌じゃ、ないの? だ、だって、男と、けけ、結婚とか、無理矢理……だし」
言い切るか否かでXANXUSの笑い声が上がる。怖いほどの魔王ばりの笑い声だ。
「てめえは馬鹿だろ……嫌だったらこんな遠い地まで来て求愛しに来ると思うか、カス」
「き、きゅきゅ、求愛!?」
とてもXANXUSに似合わない言葉に二段トーンが上がってしまった。
「ジジイの話なんざどうでもいい、ただてめえとの子が欲しいと思ったまでだ。絶対てめえ似の可愛い奴が産まれるに決まってるからな」
「……は? ……つまり、どういう……」
予想以上に飛躍した言葉が投げ込まれ、理解しがたく顔を顰めた綱吉。
子供? おれ似? つまり?
「てめえが好きだから、面倒でも話を受けた……それぐれぇわかれ、ドカスが」
「……はあ」
わかるかよ、と呟いた綱吉の言葉は口から外へ漏れることはなかった。
つまり、九代目やボンゴレの命令でもなく、XANXUSは自分の意思で綱吉の元へと通い詰めていたということだ。花束も日をあけずの来訪も、彼の綱吉への愛情ということだ。
XANXUSと向き合ってよかったかどうかはともかくとして、少しだけ心はすっきりとした。
「と、とりあえず……お友達から、お願いします」
ただやはり綱吉にとって男と付き合うことも結婚も意識の範囲外の話だったのは言うまでもない。
まずは始めようか、この強面を直視出来るようになることから。
それから何と十年。
XANXUSは変わることない愛を綱吉に注ぎ続け――傍から見たら苛めに見えていたらしいが――長いこと流されなかった綱吉も渋々にだが墜ちた。
何よりの決定打は十年越しにしたキスの後のXANXUSの顔だった、らしい。綱吉にはその十年で培ったフィルターのおかげでXANXUSの微笑みが愛おしく思えたのだ。意地を張って保ってきたものが崩れ、許してもいいかと思った瞬間だったらしい。
限界をとうに超えていたXANXUSは待て、がなくなった途端に綱吉を貪り喰ったのは特筆せずともわかるだろう。
甲斐甲斐しく、さらに綱吉の嫌なことをせず、一番傍にいて楽だと感じてしまう存在にまで成長したXANXUSを受け入れられたのは彼の努力の賜物だろう。
予想以上に周りは喜んでくれた。
「はい、撮りますよ」
そして二人は老い先短い老いぼれの夢を切々と語った九代目の希望により、結婚式の代わりに記念写真を撮ることになった。
もちろん盛大に拒否をしたのだが、泣き落しをした九代目に同情した守護者数名とヴァリアー数名による説得により、仕方なく一枚だけと了承したのだ。
XANXUSは本当は結婚式をしたかったらしいのだが、これも綱吉は拒否をした。ここまで我慢してやったんだから、これ以上希望を出すなと散々に喧嘩もした。もちろん折れたのはXANXUSだ。
マフィアらしくブラックスーツに身を包んだ綱吉とヴァリアーの隊服に身を包んだXANXUSがソファに仲良く並び、周りには見届け人の守護者とヴァリアー幹部。
「……っあ!?」
「え」
「んお……っ!?」
そうそれはシャッターを切ろうとした瞬間だった。守護者と綱吉、全員が爆発音と共に煙に包まれ、その姿が急に幼いものへと変化したのだった。
運悪く残された写真はソファの端に正座して座る綱吉、ふんぞり返るXANXUS、その周りで騒ぎたてるヴァリアー幹部と若い守護者。まだその頃の綱吉はXANXUSに気を許していた訳ではないため、表情も引き攣っていた。
その素晴らし過ぎる写真は正式に撮り直した写真と共に十代目の机の引き出しに眠っている。これも一つの幸せの形だ、と時々自分の嫁――と本人は言い張るが夜は完全に立場が逆だ――とその写真を眺めていたのだった。
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