イタリア、ボンゴレ本部内。
 広い廊下に品質の良い絨毯が敷かれ、窓の隅から床の角まで掃除の手が行き渡り、高級そうで綺麗な環境下に綱吉はいた。



「ここは、どこでしょうか………?」
 いい年なのに泣きべそをかきそうになりながら、見たこともない廊下をひた進んでいた。
 お手洗いに行くと談話室を飛び出した綱吉は、教えられた通りに道を進み、目的を果たすことが出来たのだが、帰り道に廊下を見た瞬間、道順がすっかり抜けていることに気がついたのだ。
 何処まで行っても同じような情景が広がる廊下に、サイズ形状まで全て揃えられたドア。装飾品も綱吉には差がわからず、どれも同じように見える。
「や、やばい……かも」
 ぱたぱたと走りながら、当りをつけて一つのドアを開いてみるものの、予想通り外れであった。
 人ひとり通らない。
 本当にここがボンゴレ本部なのかも心配になるくらい誰にも遭遇しないのだ。
「しまったなあ……携帯通じないし」
 海外使用ではない携帯を保持していたところで意味はないのだ。九代目が持ちなさいと渡された携帯を断らなければよかったと後悔したところで今更だ。
 困り顔のまま、綱吉はまた別の部屋の扉を開け放った。
 大体話し声が聞こえないのだから、違っているのは明白だ。それでも救助の手を誰かに差し伸べて欲しくて必死だった。
「……は?」
 そこももちろん元いた部屋ではなかった。
 綱吉の開けた部屋は衣装部屋と名付けるに相応しい、おびただしい量の服が置いてあった。真っ黒なスーツはわかるが、着ぐるみやウエディングドレスがこの屋敷の雰囲気ともマフィアの空気とも全く合っていなかった。
 誰の趣味であろうか、変装用にしても余計に目立つだろう服ばかりが並んでいるのだ。
「なんか、この辺り、見たことある気が……?」
 綱吉が衣装のうちのひとつ、天使を模した白い布の塊の服に手を掛けようとした瞬間、廊下からバタバタと数人の駆け抜ける足音が聞こえて来た。
 咄嗟に綱吉はその衣装の影に身を隠してしまう。自分が悪いことをしている訳ではないのに隠れてしまうところはビビり症の悪い部分だ。
 本来綱吉を探してくれているかもしれない人々の死角に入ってしまっては発見も遅れるだけだというのに、今の焦った綱吉の頭の中には全く思いつかない事であった。
 綱吉の気配に気付かないのか、そのまま集団は廊下を駆け抜けていった。
「……は、はは……、良かったあ……っあ!!」
 ドキドキしたまま、触れていた衣装をほっとした弾みでトスンと押してしまい、規則正しく並んでいた衣装はドミノ倒しの如く、次々と倒れていってしまった。
 部屋中がすっきりするほど、満遍なく置かれた衣類は倒れ、それまで見えていなかった窓や奥に有ったデスクまでが見えるようになってしまったのだった。
「あー、もう、ついてない……」
 元々あまりツキのいい人間ではない。
 迷ってしまったこともツキが悪かったと言えばそれまでである。ドジを踏むことは少ない訳ではないが、まさかイタリアに来てまでこんな悪いツキ周りが続くとは思っていなかった。
 綱吉は手前からひとつひとつ、倒れてしまったトルソーや小物の箱を元に戻していった。
 これだけ大きな物音がしたにもかかわらず、部屋に訪れる者はおらず、黙々と綱吉は部屋を片付けていった。
「これで全部……っと」
 汗だくになりながらも一人で部屋を元通りに戻し終えた頃には、綱吉はすっかりと疲労していた。
 奥に有ったソファにスーツの上着を投げ捨て、そこで一息つく。慣れないスーツ姿だった事もあって、くたくただった。
 ソファは綱吉の体重を受け入れ、身体が軽く沈んだところで止まる。他の部屋に有ったものとは少し、違った感触。内装も少し他とは違っていることにやっと、綱吉は気付いた。
 存在感の強い衣装に目を取られ、今の今まで、それどころではなかったのだ。
「………誰の部屋?」
 ボンゴレの人間の趣味にしては少しずれていると思えるその感覚。しかし、その内装が嫌いではなかった。何となくだが、馴染み深い気がするし、高級感だけでお腹一杯になる九代目の部屋に比べたら随分と過ごしやすい空間だった。
 ただし、この大量の衣類がなければ、の話だが。
 ここで暫し疲れを癒したい。気疲れしていた綱吉はソファに凭れ掛かり、ゆっくりと目を閉じた。
 きっと誰かが自分の気配に気付いてくれるだろう、そう願って。





 ぺっちん。
 綱吉は痛みと予想外の音で目を覚ました。
「……う、いたい」
「起きろ、バカツナ。手間かけさせやがって」
 耳に馴染んだ、馴染まざるを得なかった声がする。数年も同じ部屋で過ごしていたのだから、当然と言えば当然であるが。
 声の主のリボーンは綱吉の寝ぼけ顔を見て、むっつりとした顔を帽子で隠した。元々表立って表情を出さない男ではあるが、綱吉の呆れた行動には感情を丸出しにしそうになる。
 数年かけて成長させたつもりだが、ある一部の精神面はいつまでも成長が見られない綱吉に溜息のひとつも出したくなるのだった。
「リボーン、迎えに来てくれたの?」
 起き抜けの綱吉の声は籠り気味で、舌っ足らずだった。
「本部の人間総動員での捜索だ、トイレに行ったっきり消えるとは誰も思ってなかったからな」
「おれだって、迷うとは思ってなかったって……ここが広すぎるのが悪いんだ」
「だからと言って、人様の部屋に潜り込んで昼寝を敢行するのは許されることじゃねえよな?」
 口調は淡々としているが、明らかに怒気が孕んでいる。
 リボーンの言う『ねっちょりとお仕置き』の出番はもしかして今なのかもしれない、と綱吉は視線を泳がせた。怖い訳ではないが、実際にお仕置きを受けたことはないので未知数すぎて身体が逃げ出そうと震え始めたのがわかるほどだ。
「は、はは……ご、ごめん、なさい?」
「その台詞は心配掛けた九代目に伝えてやれ」
 ソファ脇のデスクから有線を引き、九代目に直接連絡を入れる。こんなに傍に連絡手段がある事に綱吉は今の今まで、全く気付いていなかった。
 通信先の九代目は安心したように一言良かったと告げ、今日は休むようにと指示を貰った。
 見える窓はすでに闇に包まれ、サイドテーブルの小さなランプのみが灯りを放っている。静かな空間はずっと変わらなかった。
 通信が切れると、リボーンは早々にその端末を仕舞う。
 勝手知ったると言った様子で片付ける様子に綱吉は疑問を覚えた。
「何で、リボーン、端末の位置知ってるの?」
 こてん、と首を傾げる綱吉。
 何度となく本部を訪れているのはわかるが、こんな誰が使用しているかわからないような衣装塗れの部屋の内部を知っていることは不自然である。
「当り前だろ、ここは俺の部屋だからな」
「リボーンの部屋? どうして本部に?」
「結構入り浸ってた時期にいつの間にか用意されてたからな、使わない手はないだろ?」
 当然だと態度が示している。
 倉庫と化している豪華な部屋はリボーンの物だったのだ。
 言われてみれば、彼には変装癖も女装癖もある。癖と名付けるには少し用途が違うとは思うが、本人が間違いなく楽しんでやっているのだからそう名義付けても問題ないだろう。
「倉庫代わり?」
「いーや、これはこれで立派に使ってる。この中にはボンゴレに貸し出してるモンだってあるからな」
「ふぅん」
 変わってる、と思っても口には出さず。
 リボーンが変わってるのは今に始まった事ではない。綱吉の中の認識では家庭教師や殺し屋というより、変装癖の変態の方の認識が強いのだ。
 気付けば背後にいる、しかも恐ろしいほど似合わない女物の服や着ぐるみを身に纏ってだ。
「そうだな」
 リボーンはほぼ暗がりのトルソーの中から一体、ぐいぐいと灯りの方へと引き出した。
「着ろ」
 一瞬のうちにトルソーから服を脱がせ、綱吉の方へと投げ付けてくる。布量も然ることながら、大量に付けられたフリルが顔に当り、相当くすぐったかった。
「……嫌だ」
「拒否権あるとでも思ったか? お仕置きだって言っただろ、バカツナ」
「馬鹿だろ、こんなふりふりしたやつ、着たくないって!!」
 ぐいっとリボーンに服を押し返す。
 ふわふわのドレスの様なワンピースは綱吉の好むタイプの服ではない。男装をしている訳ではないが、スカートを身に纏うことは少ないのだ。
 幼い頃に似合わないと言われた経験が心に残っているせいだ。
「嫌だと言うなら無理にでも着せるぞ」
「はあ!?」
 間の抜けた声と共に、綱吉の身体はソファへと縫い止められる。力の差は歴然。綱吉がリボーンに敵うとしたらスピード、それでもかなりの僅差だろう。
 一瞬、綱吉の方が判断を誤った。
 何より先にリボーンに一発入れる気であれば、難を逃れ、廊下へと逃げだせたかもしれないが、それより先に逃げ出そうとしたのだ。
 それでも、廊下の先で捕まるだろうことは予想の範疇ではあった。
 にやりと笑うリボーンは自らの帽子を綱吉の顔の上に落としてきた。視界を遮る黒い帽子は肌触りがいい。長年使用しているとは思えないほど手入れが行き届いている。
 本人曰く、同じ物を幾つも持っているらしい。
「ちょ、ちょ……っと、リボーンっ!!」
「逃げんじゃねえ」
「や、やだ………ってぇ」
 帽子を気にしているうちにリボーンの手が一気にスーツとYシャツのボタンを外していく。あっという間の出来事である。手が早いにも程がある。
 ふる、と小さい乳房が現れた。
「着るだけだろ」
 そう呟きながら、リボーンは谷間に口付けてくる。谷間というには些か小さいが、顔を埋めることぐらいは出来るくらいの大きさだ。
 小さくだが、くっきりとした痕が残った。
 抵抗しているはずの綱吉の身体はどう止められているのかわからないが、全く動かない。悔しいほどにリボーンの腕も力も強靭的だったのだ。
「抵抗を続けるなら、着せる以外の事もしねえとな。お仕置きになんねえだろ?」
「ばっ馬鹿! やだ、やだってぇっ!!」
 しゅ、しゅるりと布ずれの音が響く。綱吉にとっても勝手知ったるスーツの筈だが、構造上無理じゃないかというペースで脱がされていくのだ。
「べ、別の事じゃ、駄目、なのかよぅっ、ひゃあっ」
「駄目だな」
「け、ケチ! ちょっと、あ、ま、待ってってっば!」
 抵抗する手が止まりそうになるのは、リボーンの手が綱吉の身体を擽るから。尤もリボーンは擽るつもりはなく、綱吉の感じるポイントを的確に弄っているだけなのだった。
 性的に感じるところをわざと避け、力が抜けるように貶めていくところはリボーンらしいと言えばそうなのだろう。綱吉にとってはじゃれ合いの延長戦、程度にしか思っていない、否、思わせない様に仕向けて来たからこそ、警戒心も相当薄い。
 目尻に涙が滲み、苦しそうに息を吐き出す綱吉は自覚なしにだが、じわじわと身体が開き始めていた。
「わ、あ、あっ」
「もう後は着るだけだろ、ほら」
 思う存分に弄り倒したリボーンは力の抜けた綱吉に先程選んだ服を投げ寄越した。その布の感触にすら身体がふるふると震え上がる。
 何かを引き出されてしまったかのような綱吉の身体。
 服の端を掴み、綱吉は再度リボーンを睨み付けた。
「………着たら、文句、ないんだろうな」
「それはお前次第だろ?」
「っ、く、うー……っ」
 暫く綱吉は震える手で服を握り締めて見つめていたが、意を決して服に手を通し始めた。
 嫌だ、嫌だ。
 のろのろと服を持ち上げてみるものの、気が進まないせいかいつまで経っても先に進まない。
 手が痺れている上に、服自体も重たいのだ。自分自身も着たくないと思っているせいで余計に重量感がある。何より火照り始めた身体が着る事を拒絶しているようだった。
「遅えぞ」
 声色に変化はないが、ニヤついた目をこちらに向けてくる。
「あまり時間かかるなら別の方法を取るか」
 リボーンは綱吉から服を奪い取ると、ばさりとテーブルに置いた。そして、綱吉を抱え上げ、自分の膝の上へと落とす。
 体勢も悪く力の入っていない綱吉はリボーンに倒れ込んでしまうのだった。
「な、ななな!」
 下着姿、着る筈だったワンピースも奪われ、ろうそくの炎の元とはいえ肌が晒されている状態だ。恥ずかしいに決まっている。身を捩って逃げようとしても、結局彼の膝の上にいる訳で身体の位置を戻されてしまうだけだった。
「や、やだ、やだ、何するの!?
「着るのが嫌ならそのままで……だろ?」
「ひっ」
 ベロ、と首筋を舐め付ける。
「逃げんなよ?」
 ぎらんとした瞳はあまりに近すぎて焦点が合わない。瞬間に唇を軽く噛まれた。ぴり、と痛みが発する。軽く切れたかもしれない。
 だが綱吉にとってはそれどころではない。
 危機。危険。
 感じていることは大いにある。リボーンに鍛えられたのだ、危機の判別くらい自分でも出来る。
 しかし、今その危機を与えているのは師匠でもあるリボーンなのだ。いくら自分の中のありとあらゆる情報を駆使してもこの状況下から逃げ果せるとは思えない。
 何を、されるのだろうか。
 予想の範疇のことであれば。
「う、え………や、それ、は……」
「今更、じゃねえのか」
「リボーン、嫌だ、嫌だよ」
 ふるふると首を振る綱吉。
 拒絶、ではないのだ。リボーンがしようとしている事がいつもの様なじゃれ合いを一線越えそうな予感がしているからこそ、すんなりと受け入れられそうにもないのだ。
 超えた先にあるのは。
「お前とは、したくない……先生、だろ?」
 口だけの拒絶。
「こんな身体抱けない、って言ったの、お前だろ? やだ、嫌だ。なあ、リボーン?」
「おー、良く覚えてたな? 褒めてやるぞ」
 ぐ、ぐいと押し返す綱吉の両手を取り、その力を借りてリボーンは綱吉を腕の中へと収めた。
 もう完全に逃げられない。
 リボーンの香りを感じ、綱吉はとうとう動くのを止めた。
「何、だよ……もう」
「愛してやるよ」
「だから、嫌だ……って、ひぃっ」
「もう今日で解禁だ、抱きたい、抱かせろよ」
 顔を埋めた首筋にもうひとつ痕を残しながら、リボーンはただぽつぽつと呟いた。言い方が軽い。
 するりと腰から足元まで撫で下ろし、綱吉の下着に手をかける。綱吉にしては珍しく身体に合わせて作った下着だが、それも何故か緩く、軽く撫で下ろすことが可能だった。
「痩せたな、だから食えと言ってるんだ」
「ひ、人、呼ぶから!」
「無駄だ、来ねえよ。九代目に見つけ次第下がらせるって伝えてあるんだから不測の事態以外に他の奴らが来る訳ねえだろ」
「ふ、そくの、って今の事、じゃんかあ、あ、ああ」
 身体が跳ねる。勝手に、引き出される何か。
 言葉もまともに紡げず、切れ切れの喘ぎ声ばかりが綱吉の口から洩れる。ぶるりと震える腕でリボーンの肩にしがみ付きながらそのむず痒さのひとつ上の感覚に耐えた。
「だ、誰でも、いい癖に! おれじゃなくてもいいなら、触るなぁっ!」
 擦れた声で叫ぶ。
 小さな嘆きは意味すらもきちんと相手に伝える事が出来た。
 ふー、と長く息を吐き出した彼の表情には余裕があった。大人の余裕というより場数の余裕。さらに言えば相手を知る意味での余裕。
 リボーンは綱吉の頬を掴み、視線を合わせられるように自分の方へと向けた。
「仕置きになんねえなあ、なあ、ツナ?」
「……っ」
「誰でもいいだと? てめえにこんなことするのも出来るのも俺だけだろうが、忘れてねえよな?」
 お互いの息が近い、触れそうで触れない位置に唇があるのだ。
「てめえが愛だのに溺れるのはもっと先でいい、今はこの感覚だけ覚えておけ」
 低く腰に響く声が耳に届くと共に、ランプの明かりが消された。視覚が奪われたのとほぼ同じ。真っ暗な空間だ。
 暗闇の中に震える身体をきつく腕で抱きしめられたところまでは覚えているが、残りの記憶は綱吉の中では記憶として残らなかった。
 言われた通りの感覚を植え付けられたのだった。





 すい、と顔を風が撫ぜた。
 綱吉は今、自分の意志とはまったく別に移動をしているようだった。
 足が浮いている、爪先に引っ掛かる何かもある。感触は靴、だけれどもいつも身に付ける物ではない。踵には何も掛かるものがないのだ。
 首元が寒い、けれども服を纏っているのは確かだ。
「バカツナ、目が醒めてるなら目を開けろ」
 酷い言い様だが、声色がきつさを感じない。リボーンの声に反応した綱吉はゆっくりと目を開けた。
 目の前にはリボーン。
 だが、少し、どころではなく物凄く異様な格好のリボーンだった。
「気分いいだろ?」
「目の前にお前がいなければ、多少は良かったかもしれない……」
「何だよ、気に入らねえのか。お揃いだぞ」
 綱吉は弾かれたかのように自分の身体を見る。確かに多少デザインは違うが同じ類の衣装である。
 二人が身に付けているのはウエディングドレス。リボーンがシンプルなAラインのもので、綱吉がミニ丈にフリルたっぷりの物である。
「もしかして、昨日の服って……」
「拒否権はねえと伝えた筈だけどなあ?」
 短い髪に無理矢理付けられたヴェールが揺れる。
 目覚めに悪すぎる、視覚の暴力だ。
 綱吉の歪められた顔を見るなり嬉しそうににやにやと笑うリボーン。いくらコスプレ好きでも似合う似合わないは別次元のようだ。
「い、嫌がらせにも程があるっ!!」
「ねっちょりお仕置き、だろ? これから記念写真撮ってこのままベッドインだからな」
「はぁ!?」
 何かが間違っている。いや、何もかもが間違っている。
 逃げ出すにも敵は完全に先手を取っていて、互いの手が手錠で繋がれていた。
「反省しろよ―、俺は厳しいからな、次はねえぞ?」
 紡がれた言葉に綱吉は身を縮めた。



 反省。
 今度からはどこへ行くにも護衛をつけよう。
 綱吉はそう頭に叩き込んだのだった。